投稿者: かおり

  • 体育の球技で身体が動かなかった|どう動けばいいのか分からなかった私

    体育の球技が苦手でした。ただ、うまくできないというだけではありませんでした。どう動けばいいのか分からなくなって、身体が止まってしまうことがありました。

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    バレーボールでは、サーブが相手のコートまで届かなかった

    バレーボールでは、サーブを打っても相手のコートまで届きませんでした。何度やっても届かない。周りの子は普通に打てているのに、自分だけできないように感じて、とても情けなかったです。

    試合でも、ボールが自分の方に来ると、どうしたらいいのか分からなくなりました。頭では「動かないと」と思っているのに、身体が動きませんでした。

    バスケットボールでも、ゴールまで届かなかった

    バスケットボールでは、フリースローの練習が苦手でした。ボールを投げても、ゴールまで届きませんでした。入らないというより、そもそも届かない。そのことが、とても悔しかったです。

    試合になると、さらに難しくなりました。どこに動けばいいのか。誰についていけばいいのか。いつ走ればいいのか。何をすればいいのか分からず、動けなくなっていました。

    周りは自然に動いているように見えた

    周りの子は、ボールの動きを見ながら自然に走ったり、場所を変えたりしているように見えました。でも私は、その流れについていくことができませんでした。次に何をすればいいのか分からない。考えている間に、もう場面が変わってしまう。そんなことが何度もありました。

    参観日が体育だったとき

    参観日が体育の授業だったこともありました。そのときも、私はうまく動くことができませんでした。そして家に帰ると、母に怒られました。私は自分でも、どうして身体が動かないのか分かりませんでした。でも、できなかったことを家に帰ってからまた怒られるのは、とてもつらかったです。

    動きたくなかったわけではない

    私は、体育をさぼりたかったわけではありません。できるなら、ちゃんと動きたかったです。できるなら、みんなと同じように動きたかったです。でも、どう動けばいいのか分からない。ボールが来ても身体が動かない。そのことが、自分でもとても情けなく感じていました。

    今振り返ると、球技そのものが苦手だっただけではなく、その場で状況を見て、すぐに判断して動くことが難しかったのだと思います。これは私が自分の経験から感じていることで、原因を断定するものではありません。

    同じような経験をした方へ

    体育でうまく動けなかったことは、努力が足りなかったからとは限りません。「どうしてできないの」と責められてつらかった人がいたら、あなただけではないと伝えたいです。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

    この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。

  • 話せない私は嫌われていると思っていた|人の好意を信じられなかった私

    私はずっと、話せないから嫌われているんだろうなと思っていました。誰かにそう言われたわけではありません。でも、話しかけられても返事ができない。自分から話しかけることもできない。そんな自分を見て、「こんな私と一緒にいても楽しくないだろうな」と思っていました。

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    誘われても、素直に信じられなかった

    私をグループに入れようとしてくれる人がいても、素直には受け取れませんでした。「本当に私と一緒にいたいから誘っているのかな」と思っていました。

    周りに「あんな子を誘ってあげて、いい人だと思われたいだけなんじゃないか」とか、「先生からの評価を上げたいだけなんじゃないか」と思うこともありました。また、「かわいそうだから誘っているだけなんじゃないか」とも思っていました。本当に私と一緒にいたいから誘ってくれているのか。それとも、別の理由があるのか。私は、人の好意をそのまま信じることができませんでした。

    大人になってから、自分から輪に入ろうとした

    大人になってから、病院のデイケアで人の輪の中に入ろうとしたことがありました。子どもの頃とは違って、今度は自分から関わろうとしました。でも、そこで私は無視されて、まるでそこにいないように扱われたと感じました。

    その出来事のあと、「もう関わるのはやめよう」と思いました。それくらい、そのときのことが私の中に強く残りました。

    友達は欲しい。でも、信じることが難しい

    今、私には友達と呼べる人はいません。でも、今でも友達が欲しいと思うことはあります。ただ、人と関わることはなかなか難しいです。これまで、いろいろなことがありすぎて、私は人をなかなか信じられないのだと思います。

    友達が欲しくないわけではありません。でも、人と近づこうとすると、これまでの出来事を思い出してしまいます。「また傷つくかもしれない」と思うこともあります。人と関わりたい気持ちは今でもあります。でも、信じることが難しい。それが、今の私です。

    今も、人の好意はよく分からない

    今でも、相手が自分に好意を持ってくれているのか、正直よく分かりません。言葉や態度を見ても、「本当にそう思っているのかな」と考えてしまうことがあります。

    でも今は、以前ほど深く考えないようにしています。相手の気持ちは、自分では全部分かりません。考え続けても答えが出ないこともあります。だから今は、「分からないものは、分からないままでいい」と思うようにしています。

    夫の好意は分かりやすかった

    他人の気持ちは今でもよく分からないことがあります。でも、夫の好意は私にも分かりやすかったです。言葉や行動から、「大切にしてくれているんだな」と感じることができました。だから、夫と一緒にいて幸せです。

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  • 退院してから少しずつ食べられるようになった|摂食障害からの回復の途中で

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。医療情報や診断の代わりにはなりません。食べることがつらい状態が続くときは、早めに医療機関に相談してください。入院までのことは、気づかないうちに食べられなくなっていた|摂食障害で入院するまでに書いています。

    退院後の回復の途中を書いた記事のイメージ画像

    退院しても、すぐには元のように食べられなかった

    入院してから、体重が少し増えたところで退院することができました。

    でも、退院したからといって、すぐに元のように食べられるようになったわけではありません。それでも、少しずつ食べる量が増えていきました。それに合わせて、体重も少しずつ戻っていきました。

    家では食べられても、外食は大変だった

    家では少しずつ食べられるようになっていましたが、外食になると大変でした。

    お店で出てくる一人前の量を見ると、「こんなに食べるの?」と思うことがありました。普通の一人前でも、私には多く感じました。全部食べることは、なかなかしんどかったです。

    入院中に出された食事も、当時の私には多く見えました。今振り返ると、そのときも普通の量だったのだと思います。量の感じ方が、自分の中でずれていたのだと思います。

    少しずつ、食べられる量は戻っていった

    急にではなく、時間をかけて少しずつ、食べられる量は増えていきました。体重も少しずつ戻りました。

    当時の私にとって、食べられるようになることも、体重が増えることも、簡単なことではありませんでした。それでも、時間をかけながら、少しずつ変わっていきました。

    回復の進み方は、人によって違うと思います。私の場合は、「急に変わる」のではなく「気づいたら少し変わっていた」という感じでした。

    体重計にのる癖は、今でも残っている

    食べる量や体重は戻ってきましたが、今でも残っていることがあります。そのひとつが、体重計にのる癖です。

    学生の頃から体重を気にしていたこともあって、今でも体重を確認する習慣が残っています。

    今でも、カロリーを気にすることがある

    食べたいものがあっても、できるだけカロリーの低いものを選ぶことがあります。本当は別のものが食べたいと思っていても、数字を見て、低い方を選んでしまうことがあります。

    カロリーの高いものを食べることには、ほかの人より罪悪感を持っているのかもしれません。

    こうした癖や考え方は、退院して食べられるようになったあとも、なくなったわけではありませんでした。

    回復しても、残っているものがある

    退院して、少しずつ食べられるようになった。体重も戻ってきた。でも、それですべてが元通りになったわけではありませんでした。

    回復したからといって、全部がなくなるわけではない。

    私は今、そんなものを抱えながら生活しています。そして、ときどき「また、あの頃のような気持ちになるかもしれない」と思って、怖くなることもあります。だから、自分の状態を見ていくことを、忘れないようにしています。

    周りの人に知っておいてもらえたら、と思うこと

    これはあくまで私の場合ですが、次のように思っています。

    • 退院して食べられるようになっても、外食や量に不安が残る人がいる
    • 「もう治ったよね」と言われると、残っているしんどさを言い出しにくくなることがある
    • 食事の量や体重について、あれこれ言われるより、「今日は食べられた?」くらいの声かけの方が、受け取りやすい人もいるかもしれない

    人によって感じ方は違うので、本人に「どう声をかけてほしいか」を聞いてみるのも、ひとつの方法だと思います。

    読んでくださっている方へ

    食べることや体重のことで、つらさが続いているときは、一人で抱えずに、医療機関に相談してください。回復の途中で不安になったときも、主治医に相談してよいと思います。

    相談先の例

    • 摂食障害情報ポータルサイト(国立精神・神経医療研究センター)
    • 厚生労働省「まもろうよ こころ」
    • お住まいの地域の保健所・精神保健福祉センター

    最新の窓口は、それぞれの公式サイトで確認してください。


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  • 昔は質問できたのに、いつからか聞けなくなった|「分からない」を言えなかった私

    小学校低学年の頃は、勉強で分からないところがあれば、先生に質問することができていました。でも、その後は少しずつ、分からないことがあっても質問できなくなっていきました。なぜそうなったのか、自分でもはっきりとは分かりません。ただ、いつの頃からか、「どうやって質問したらいいんだろう」と思うようになっていました。

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    どう聞けばいいのか分からなくなった

    分からないことがあっても、「どこが分からないのか、どう説明すればいいんだろう」「こんなことを聞いていいのかな」と考えてしまい、結局聞けないまま終わることが増えていきました。質問したい気持ちはありました。分からないままにしたいわけでもありませんでした。でも、どうやって声をかければいいのか分からなくなっていました。

    中学校の技術の授業で質問できなかった

    中学校の技術の授業で、やり方が分からないことがありました。本当は先生に質問したかったです。でも、どう聞けばいいのか分からず、質問することができませんでした。そのことがずっと頭に残っていました。

    家に帰ってからも、「どうしよう」「次の授業までに分からないままだったらどうしよう」と考えていました。分からないことそのものより、聞きたいのに聞けないことが、とても苦しかったのだと思います。

    大人になってからも、病院で聞けなかった

    大人になってからも、病院で聞きたいことはたくさんありました。夜になってもそのことが頭から離れず、なかなか眠れないこともありました。「どうして私は話せないんだろう」「いつになったら話せるようになるんだろう」「話せない原因は何なんだろう」。本当は、先生に聞きたいことがたくさんありました。

    でも、診察室に入ると聞けませんでした。頭の中には疑問がある。答えを知りたい気持ちもある。それなのに、それを質問の形にして口に出すことができませんでした。

    いちばん身近な母にも聞けなかった

    病院だけではなく、いちばん身近な母にも聞くことができませんでした。本当は、「どうして私は話せないの?」「いつになったら話せるの?」と聞きたかったのだと思います。でも、どう聞けばいいのか分かりませんでした。聞けないまま、不安だけが自分の中に残っていきました。

    不安は将来のことにも広がっていった

    不安は、今のことだけではありませんでした。「このままずっと話せなかったらどうしよう」「将来、学校を卒業したあと私はどうなるんだろう」「仕事はできるのかな」。そんな先のことまで考えて、不安になることがありました。目の前の困りごとだけでも苦しいのに、その先の人生まで考えると、ますます不安が大きくなっていきました。

    治療を始めて5年くらい経ってから、不安を母にぶつけた

    病院で治療を始めてからも、不安はすぐにはなくなりませんでした。疑問や将来への不安を抱えたまま、何年も過ごしました。そして、治療を始めてから5年くらい経った頃、とうとう抱えていた不安を母にぶつけました。それまでずっと、自分の中だけで抱えていたものが大きくなりすぎていたのだと思います。その後、病院では、「薬を飲んでみませんか?」と言われました。

    今振り返って思うこと

    今振り返ると、私はただ「質問が苦手だった」のではないと思います。分からないことがあっても、どう聞けばいいのか分からなかった。不安があっても、どう外に出せばいいのか分からなかった。だから、一人で抱え込むことが多くなっていったのだと思います。

    もっと早く、「分からない」「不安です」と伝える方法が分かっていたら、少し違ったのかもしれません。でも当時の私は、その伝え方自体が分かりませんでした。

    今は、分からないことを早めに聞くようにしている

    今は、分からないことがあったときは、できるだけ早く聞くようにしています。昔は、「こんなことを聞いたらどう思われるだろう」と考えてしまって、分からなくてもそのままにすることがありました。でも今は、分からないままにしておくより、早めに確認した方がいいと思えるようになってきました。

    すぐに人に聞くのが難しいときは、まず夫に聞いてみることもあります。夫に話してみると、答えそのものではなくても、考えるためのヒントが見つかることがあります。それで少し整理してから、必要なら相手に確認するようにしています。今は、「分からないことを聞くのは悪いことではない」と思えるようになってきました。

    質問できない人へ

    聞きたいことを紙に書いておく、文字で送るなど、口で聞く以外の方法もあります。診察での具体的な方法は、診察で話せない人のための診察メモの書き方にまとめました。

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  • 冗談か本気か分からなかった|言葉をそのまま受け取っていた私

    子どもの頃、家で家族が冗談を言うことがありました。でも私は、それを冗談だとは思わず、そのまま本気に受け取ってしまうことがよくありました。あとになって「冗談だよ」と言われて、初めて分かることもありました。

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    どこで冗談だと判断するのか分からなかった

    まったく分からなかったわけではありません。ときどき「もしかして、これは冗談かな?」と思うこともありました。でも、確信が持てませんでした。言い方なのか。表情なのか。その場の雰囲気なのか。私は、どこを見て冗談だと判断すればいいのか分かりませんでした。そのため、結局は言われたことをそのまま本気に受け取ってしまうことが多かったです。

    どうしてわざわざ冗談を言うのか分からなかった

    私は、「どうしてわざわざ冗談を言うんだろう」と思うこともありました。本当のことを言えばいいのに、なぜ違うことを言うんだろう。何のために言うんだろう。周りの人にとっては、楽しい会話のひとつだったのかもしれません。でも当時の私は、その意味がよく分かりませんでした。

    私が真面目すぎたのかと思うこともあった

    「私は真面目すぎるのかな」と思うこともありました。でも今振り返ると、ただ真面目だったというだけではなく、冗談だと判断するための手がかりが分かりにくかったのだと思います。

    冗談だと分かったあとには、「どうして私は分からなかったんだろう」と悔しくなることもありました。周りの人には自然に分かることなのに、自分には分からない。そのことが、とても悔しかったです。

    今でも冗談かどうか判断するのは苦手

    今でも、冗談か本気かを判断することは苦手です。「これは冗談かな」と思っても、確信が持てないことがあります。昔よりは、「もしかしたら冗談かもしれない」と考えられるようになりました。でも、冗談かどうかを見分けることは、今でも簡単ではありません。

    夫の冗談は分かりやすい

    今の夫の冗談は、私には分かりやすいです。言い方や雰囲気で、「これは冗談だな」と分かることが多いです。安心できる相手だからこそ、冗談として受け取りやすいのかもしれません。私にとっては、冗談そのものが苦手というより、冗談だと分かる手がかりが少ないと判断しにくいのだと思います。

    私自身が冗談を言うことも苦手

    私は、自分から冗談を言うことも苦手です。「これを言ったら冗談として伝わるかな」「相手が本気に受け取らないかな」と考えてしまいます。自分自身が冗談を本気に受け取ってしまうことがあるからこそ、相手にも同じように伝わってしまわないか気になります。

    そのため、私は無理に冗談を言おうとするより、できるだけそのまま言葉にして伝えることの方が多いです。今でも冗談を見分けることは得意ではありません。でも、自分にはそういう難しさがあると分かるようになったことで、昔よりは少しだけ受け止めやすくなった気がします。

    周りの人にお願いしたいこと

    私の場合ですが、次のようにしてもらえると助かります。

    • 冗談を言ったあとに、「冗談だよ」と一言添えてもらえると安心する
    • 本気かどうか迷っているときに、「本気?」と聞いても責めないでほしい
    • 信じてしまったことを、笑わないでほしい

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  • 助けてほしいのに、「助けて」と言えなくなった理由

    この記事には、子どもの頃の嫌がらせの経験が出てきます。読むのがつらくなったときは、無理をせず閉じてください。

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    幼稚園の頃、助けてもらえなかった

    幼稚園の頃、背の順に並んでいるとき、後ろにいた子から体当たりをされることがありました。私はそのことを母に話しました。でも、先生に伝えてもらうことはありませんでした。先生にも気づいてほしかったし、助けてほしかったです。でも、何も変わりませんでした。

    「やめて」と言っても、助けてもらえなかった

    小学3年生の頃には、隣の席の男子から、体を触られるという嫌がらせを受けていました。私は「やめて」と言いました。でも、やめてもらえませんでした。母にも話しました。でも、「からかわれているだけよ」と言われただけでした。先生も、周りの子も見ていたはずなのに、誰も助けてくれませんでした。

    「言っても助けてもらえない」と思うようになった

    こういう経験が重なるうちに、「どうせ言っても助けてもらえない」と思うようになっていったのだと思います。私は、最初から助けを求めない子だったわけではありません。嫌なことがあれば、母に話していました。「やめて」と言うこともありました。でも、それでも状況は変わりませんでした。

    だから少しずつ、「言っても無駄なんだ」「自分で耐えるしかないんだ」と思うようになっていきました。

    中学生になっても、先生に言えなかった

    中学生の頃、嫌なことがあって担任の先生から「何があったの?」と聞かれたことがありました。でも、私は言えませんでした。心の中では、「どうせ言っても助けてくれないでしょ」と思っていました。幼い頃から、助けを求めても助けてもらえなかった経験が残っていたからです。

    助けを求めることが苦手だったのではなく、期待できなくなっていた

    今振り返ると、私は「助けを求める力がなかった」のではないと思います。助けを求めても、届かない経験が多すぎたのだと思います。「やめて」と言っても止めてもらえない。親に話しても、深刻に受け止めてもらえない。先生や周りの人にも気づいてほしいのに、誰も助けてくれない。そんなことが続けば、「助けて」と言うこと自体をあきらめてしまう。私は、そうなっていったのだと思います。

    今でも、あの頃のことを思い出すと苦しくなります。でも今は、助けを求められなかった自分を責める必要はなかったと思っています。

    まずは日記に書き出してから考える

    今は、困ったことやつらかったことがあると、まずは自分しか見ない日記に書き出すことがあります。書いているうちに気持ちが少し整理されて、「これなら誰かに話してみようかな」と思えることがあります。いきなり人に話すよりも、一度自分の中で言葉にしてからの方が、私は伝えやすいです。

    夫には話しやすい

    毎日一緒にいる夫には、比較的話しやすいです。生活の中で困ったことや、その日にあったことを話すことがあります。ただ、夫は病院の先生ではないので、医学的なアドバイスを求めているわけではありません。私にとっては、まず話を聞いてもらえること自体が助けになっています。

    医学的なことや治療について相談したいときは、主治医など専門の人に相談する。それ以外の気持ちや日常の困りごとは、夫に聞いてもらう。今は、相談する相手によって話す内容を少し分けるようになっています。

    同じような経験をした方へ

    子どもの頃に助けてもらえなかった経験があると、大人になっても「助けて」と言いにくいことがあります。それは弱さではなく、そうなる理由があったのだと思います。話すことが難しいときは、文字で相談できる窓口もあります。話すのが苦手な人のための相談先の探し方も参考にしてください。

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  • 電話が苦手だった|聞くことも、かけることも難しかった私

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。電話が苦手な方の、ひとつの参考になればと思って書きました。

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    電話が苦手な理由

    私は昔から、電話がとても苦手でした。顔が見えない相手と、その場で言葉を返さなければならないことが、とても難しかったです。

    • 何を言えばいいのか分からなくなる
    • 聞き取れなかったらどうしようと思う
    • 次に何を返せばいいのか分からない

    電話には、そういう不安がいつもありました。

    中学生の頃、連絡網の電話がしんどかった

    中学生の頃、クラスの連絡網で電話がかかってくることがありました。電話に出て、内容を聞き取り、そのあと次の相手に電話をしなければなりません。私には、それがとても大きな負担でした。

    まず、かかってきた電話の内容を、ちゃんと聞き取らなければならない。そして、その内容を間違えずに、次の人へ伝えなければならない。受けるだけでも緊張するのに、そのあと自分から電話をかけなければならない。連絡網の電話は、私にとってとてもつらいものでした。

    台本を全部覚えたのに、本番では声が出なかった

    専門学校では、電話対応の練習がありました。私は不安だったので、家で台本を全部覚えました。これだけ覚えておけば大丈夫。そう思っていました。

    でも、本番になって電話を持った瞬間、覚えていたことが頭から消えてしまいました。何を言えばいいのか分からなくなり、声を出すこともできませんでした。家では覚えていたのに。練習もしていたのに。本番になるとできない。そのことが、とてもつらかったです。

    美容院の予約も、自分ではできなかった

    美容院に行くときも、電話で予約することができませんでした。「予約をお願いします」と言うことが、難しかったからです。そのため、母に頼んで予約してもらっていました。周りの人にとっては簡単な電話でも、私にはとても高いハードルでした。

    話す内容が分かっていても、電話ではできなかった

    今振り返ると、私は電話で何を話すのか、全く分かっていなかったわけではありません。台本を覚えていたこともありました。美容院の予約でも、何を伝えればいいのかは分かっていました。

    それでも、電話になるとできませんでした。電話を持った瞬間に緊張して、頭が真っ白になる。言葉が出てこなくなる。

    私にとって電話は、ただ「話せばいい」ものではありませんでした。聞くこと、考えること、すぐに返すことを同時にしなければならないことが、とても難しかったのだと思います。

    電話を少し楽にするために、私がしていること

    今でも電話は苦手ですが、以前より少しでも楽にできるように工夫しています。

    • 伝えたい要件を、先にメモしてから電話する:何を話せばいいのかをあらかじめ書いておくと、電話中に分からなくなってしまうことが少し減ります。
    • 電話を使わなくてもできることは、電話を使わない:たとえば、美容院の予約は、今ではネットからしています。
    • 連絡は、LINEなどの文字ですることもある:文字なら、自分のペースで考えて返せます。

    昔は「電話できなければいけない」と思っていました。でも今は、自分が使いやすい方法を選んでもいいと思えるようになりました。

    電話が苦手でも、できる手段を選んでいい

    電話が苦手なことにも、自分なりの理由があったのだと、今は思っています。できない自分を見て、「どうしてこんなこともできないんだろう」と思ったこともありました。でも、電話がうまくできないことと、その人の価値は関係ありません。

    電話以外の手段が用意されている場面は、少しずつ増えています。使える手段を使いながら、無理のない形で、人とのやり取りを続けていけたらと思っています。

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  • 「どっちがいい?」と聞かれることが苦手だった|自分で選ぶことの難しさ

    私は三姉妹でした。何かが三色あるときは、妹たちが先に選び、私は最後になることが多かったです。自分で「これがいい」と選ぶというより、残ったものを受け取ることが多く、子どもの頃は自分で選ぶ余地があまりありませんでした。

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    学校で「どっちがいい?」と聞かれると困った

    学校では、「どっちがいい?」と聞かれることがありました。そんなとき、私はとても困りました。どちらを選べばいいのか分からない。どちらが自分に合っているのかも分からない。すぐには決められず、迷って、悩んでしまいました。周りの子は自然に選んでいるように見えるのに、私はなかなか決められない。そのことも、私にとっては苦しいことでした。

    大人になっても、選ぶことは難しかった

    大人になってから、病院でも自分で選ぶ場面がありました。最初は、「どれを選んだらいいのか分からない」という状態でした。でも、それがすぐに変わったわけではありません。一年くらいかけて、少しずつ、「これにしようかな」と思えるようになっていきました。

    それでも、その気持ちを口に出して伝えることはできませんでした。自分の中では答えが少しずつ見えてきている。でも、それを相手に伝えるところで止まってしまう。私にとっては、選ぶことと、それを言葉にして伝えることは別の難しさだったのだと思います。

    今は夫に聞かれると答えられる

    でも今は、夫に「何がいい?」「どっちがいい?」と聞かれたら、ちゃんと答えることができます。それは、今の夫だから安心して答えられるのだと思います。何かを選んでも、変に思われない。自分の希望を言っても大丈夫。そう思える相手だから、私は自分の気持ちを言葉にできます。

    昔の私は、自分で選ぶことも、その気持ちを相手に伝えることも難しかったです。でも今は、安心できる相手になら、自分の希望を言葉にできます。私にとっては、「選べるようになったこと」だけではなく、「安心して自分の希望を伝えられる相手がいること」も、大きな変化です。

    今は、自分の気持ちを少しずつ選べるようになった

    昔は、「どっちがいい?」と聞かれると、どう答えればいいのか分からなくなることがありました。相手がどう思うかを気にしすぎて、自分が本当はどちらを選びたいのか分からなくなることもありました。でも今は、少しずつ、「私はこっちがいい」と、自分の気持ちで決められるようになってきました。

    それは、たぶん夫の存在も大きいと思います。夫と一緒に過ごす中で、自分の希望を言っても大丈夫だと思えることが増えました。今では、前よりも素直な気持ちで選べるようになってきています。

    聞く側の人にお願いしたいこと

    私の場合ですが、次のようにしてもらえると選びやすいです。

    • 選択肢は2つくらいに絞って聞いてもらえると答えやすい
    • 答えを急がずに、待ってもらえると安心する
    • どちらを選んでも責めない、と伝えてもらえるとうれしい

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  • 病院で何を話せばいいのか分からなかった|診察で困っていたこと

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。診断や治療についての助言ではありません。診察で話せないことに困っている方の、ひとつの参考になればと思って書きました。

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    「どうですか?」に、どう答えればいいのか分からなかった

    大人になってから、病院の診察で困ることがありました。

    先生からたくさん質問されるわけではありません。診察室に入ると、「どうですか?」と聞かれます。私は、その一言にどう答えればいいのか分かりませんでした。

    • 何を話せばいいのか
    • どこまで話せばいいのか
    • 何を大事なこととして伝えればいいのか

    それが、私には分かりませんでした。

    紙に書いて持っていく方法を提案してもらった

    そんな私に、先生が「あらかじめ紙に書いて持ってきてみたらどうですか」という方法を提案してくれました。

    それから私は、自分の状態や気持ちを紙に書いて、診察のときに先生へ渡すようになりました。その方法が、何年も続きました。口でうまく説明することは難しくても、紙に書くことなら、少し伝えやすかったからです。

    紙に書いていた内容は、毎回それほど大きく変わりませんでした。今振り返ると、私はずっと、焦りや不安を抱えていたのだと思います。何をどうしたらいいのか分からない。このままでいいのかも分からない。そんな気持ちが、いつもどこかにありました。でも、それを診察室でうまく説明することはできませんでした。

    診察メモの書き方の例

    私のやり方をもとに、診察のメモに書く内容の例をまとめます。全部を書く必要はありません。

    • 今いちばん困っていること(1〜2行でかまいません)
    • 前回の診察から変わったこと(よくなったこと、悪くなったこと)
    • 先生に聞きたいこと(薬のこと、生活のことなど)
    • 今日話せなかったときのために、伝えたいことの順番

    話すのが難しいときは、メモをそのまま先生に渡してもよいと思います。私は、診察のはじめに紙を渡して、先生に読んでもらっていました。

    「他に何かありますか?」にも困っていた

    診察の最後に、「他に何かありますか?」と聞かれることがありました。その質問にも、困っていました。

    何かはある。でも、「何を言えばいいの?」と思っていました。話したいことが何もなかったわけではありません。困っていることも、不安なこともありました。ただ、それをその場で選んで、順番をつけて、言葉にして伝えることが難しかったのです。

    事前にメモを作っておくと、この質問にも、メモを見ながら答えられます。

    沈黙しても、待っていてくれた先生

    診察では、沈黙が続くこともありました。それでも先生は、急かさずに待っていてくれました。私が話せるまで、待ってくれていました。

    うまく話せない私にとって、待ってもらえることは、それだけで安心につながっていました。

    私に合った伝え方を考えてくれた

    今思うと、紙に書いて持っていく方法を提案してくれたことには、とても感謝しています。「話せないなら仕方がない」で終わるのではなく、私が伝えやすい方法を考えてくれました。

    話せないから、何も考えていないわけではありませんでした。伝えたいことがないわけでもありませんでした。どうやって伝えればいいのか分からなかっただけです。

    病院を変えて、話しやすくなった

    病院を変えてからは、以前より話しやすくなりました。話を急がせず、こちらの話を聞いてくれる先生だと、安心します。「ちゃんと聞いてもらえる」と思えるだけで、話しやすさがかなり違います。

    今は、診察で話したいことをあらかじめメモして、それを見ながら話しています。先生から質問されたことには、答えることができます。

    訪問看護で話すことも、助けになっている

    私は訪問看護も利用しています。病院の診察は時間が限られているので、伝えたかったことを全部話せないことがあります。そんなときは、訪問看護師さんに、病院で伝えきれなかったことを話します。ちょっとした雑談のようなことを話すこともあります。

    話を聞いてもらうことで、少しずつ心が軽くなるように感じます。私にとっては、病院だけではなく、訪問看護を利用することも、安心して話せる場所を増やすひとつの方法になっています。

    診察で話せない人へ

    診察でうまく話せないことは、あなたのせいではありません。事前にメモを作る、紙で伝える、待ってもらえる先生を探すなど、伝え方を工夫してよいと思います。「話すのが苦手なので、紙を渡してもいいですか」と最初に伝えてみるのも、ひとつの方法です。

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  • 「生きてるか死んでるかわからない」と言われた中学3年の頃

    中学3年生のとき、班替えがありました。そのとき、ある男子と同じ班になり、隣の席になりました。すると、その男子から「生きてるか死んでるかわからない」と言われました。それだけではなく、周りのみんなにも同意を求めるような言い方をしていました。

    中学3年の頃に言われた言葉を書いた記事のイメージ画像

    私は何も言い返せませんでした。心の中で、「私なりに一生懸命生きてきたのに、なんでそんなことを言われないといけないの?」と思いました。ちょうどそのあとチャイムが鳴ったので、涙目のままトイレに逃げました。私を追いかけてきてくれた女子がいました。

    先生に「何があったの?」と聞かれても言えなかった

    そのあと、担任の先生から「何があったの?」と聞かれました。でも、私は言えませんでした。心の中では、「どうせ言っても助けてくれないでしょ」と思っていました。小学生の頃、嫌なことがあっても、親も先生も周りの子も助けてくれなかった。その記憶が残っていたからです。私にとっては、「先生に話す」ということ自体が簡単なことではありませんでした。

    家では「あなたが喋らないから悪い」と言われた

    その後、担任の先生が家に電話をしたようです。でも家では、私は怒られました。「あんたが喋らないから悪いんでしょう?」。また、いつものような言葉でした。さらに、「いじめられたなら転校すればいいんだから」とも言われました。

    私は心の中で、「転校して、何が解決するの?」と思っていました。場所を変えれば、私が話せないことや、傷ついた気持ちまでなくなるわけではありません。

    話せなかったことと、傷つけられていいことは別だった

    あの頃の私は、助けを求める方法も分かりませんでした。そして、何かあっても最後には、「あなたが話さないから悪い」と言われるような気がしていました。だから、ますます言えなくなっていったのだと思います。

    でも今振り返ると、話せなかったことと、傷つけられていいことは別だったと思います。言い返せなかったからといって、つらくなかったわけではありません。昔のことでも、傷はなくなったわけではありません。思い出すと、今でもしんどくなることがあります。

    同じように言えなかった人へ

    もし同じように、言いたくても言えなかった人がいたら、ひとりではないと思ってもらえたらうれしいです。 うまく言葉にできなくても、傷ついた気持ちはちゃんとそこにあります。

    今の私なら、こう思う

    今の私なら、あの言葉をそのまま受け取らないと思います。私は、話せないことで不安や悩みを一人で抱えながら、それでも毎日を生きてきました。自分なりに一生懸命頑張ってきたつもりです。だから今なら、「生きてるか死んでるかわからないなんて、言われる筋合いはない」と思います。

    外から見ただけでは、その人がどれだけ苦しんでいるのか、どれだけ頑張っているのかは分からないと思います。どれだけ一生懸命生きてきたかは、本人にしか分からない。 私は今、同じように人から傷つく言葉を言われた人に、そう伝えたいです。

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