「一生の友達ね」と言われて、私はなぜ引っかかったのか|ASDだと分かる前のこと

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昔、友達から「私たち、一生の友達ね!」と言われたことがありました。でも、その言葉を聞いたとき、私は素直に「うれしい」とは思いませんでした。むしろ、「一生なんてありえないのに、なんでそんな言い方をするんだろう」と思いました。

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これから先、何が起こるかなんて分かりません。ずっと同じ関係でいられるかどうかも、誰にも分からないはずです。それなのに、どうして「一生」と言い切れるんだろう。私には、その言葉が不思議でした。

「一生」という言葉が引っかかった

相手は、深い意味まで考えずに「ずっと仲良くしようね」という気持ちで言ったのかもしれません。でも当時の私は、そういう受け取り方ができませんでした。「一生」と言うなら、本当に一生なんだろうか。できるかどうか分からないことを、どうしてそんなふうに言えるんだろう。そんなことを考えていました。

やっぱり「一生」ではなかった

その後、私たちは一生の友達ではありませんでした。そのとき私は、「一生って言ったくせに。嘘つき」と思いました。最初から「一生なんてありえない」と思っていたのに、実際にそうならなかったら、やっぱり「嘘だった」と感じたのです。

ASDだと分かった今、振り返ると

大人になってASDだと分かってから、昔の出来事を振り返ることがあります。あのとき私は、単に言葉をそのまま信じていたというより、言葉の意味をとても真剣に考えていたのだと思います。「一生」と言うなら、一生。「約束」と言うなら、約束。相手がどんな気持ちでその言葉を使ったのかよりも、言葉そのものの意味が気になっていました。

もちろん、これがすべてASDのためだったのかは、私には分かりません。でも、昔から人との会話の中で、「どうして、そういう言い方をするんだろう?」と引っかかることが何度もありました。今になって振り返ると、それも私の物事の受け取り方の一つだったのかな、と思います。

今は、人の言葉をそのまま受け取らないようにしている

今振り返ると、「一生の友達ね」という言葉を、まだ友達関係が始まったばかりのときに軽々しく言うものではないと思います。私はこれまで、人の言葉をそのまま受け取って傷ついたことが何度もありました。だから今は、相手の言葉だけですぐに判断しないようにしています。

うれしい言葉を言われても、一度冷静になって考える。その人が普段どんなふうに接してくれているのかも見るようにしています。言葉をそのまま信じて傷つくのは自分です。だからこそ今は、少し距離を置いて考えることを意識しています。

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この記事を書いた人
かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

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