カテゴリー: 学校・家族・つらかった経験

  • 嫌だったことが頭から離れなかった|何度も思い出して眠れなかった私

    嫌がらせをされたことや、傷つくことを言われたことを、私は何度も思い出していました。その場が終われば終わり、というわけではありませんでした。家に帰ってからも、夜になってからも、頭の中で何度もぐるぐるしていました。

    嫌な記憶が頭から離れなかった記事のイメージ画像

    「どうしてあんなことをされたんだろう」「どうして誰も助けてくれなかったんだろう」と考え始めると、なかなか止まりませんでした。夜になっても頭から離れず、眠れなくなることもありました。

    思い出して涙が出ることもあった

    嫌だったことを思い出しているうちに、涙が出ることもありました。でも、妹に気づかれないようにしていました。泣いているところを見られないようにすることも、私には大変でした。

    つらい気持ちはある。でも、それを人に見せることもできない。だから、ますます一人で抱え込んでいたのだと思います。

    高校では靴を隠されることがあった

    高校では、靴を隠されることがありました。誰がやったのか、大体の見当はついていました。でも、相手を追及することはできませんでした。靴がなかなか見つからないときは、本当にどうしようもありませんでした。結局、ひとりで探すしかありませんでした。困っていても、誰も助けてはくれませんでした。

    靴を探しながら、「なんで私は、こんな目に合わなきゃいけないの?」と思っていました。何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなことをされるのか。そのことが、とても悔しくて、つらかったです。

    体育の時間には体育用の靴がなくなった

    体育の時間に、体育用の靴がなくなっていたこともありました。本当は誰かに「一緒に探してほしい」と言いたかったです。でも、その一言が言えませんでした。誰かに頼ることもできず、ひとりで探すしかありませんでした。

    「この人かもしれない」と思う相手がいることもありました。でも、確かめることも、問い詰めることもできませんでした。

    先生に言おうか迷った

    靴を隠されたとき、先生に言おうかと悩みました。でも、「言ったところで、どうにかなるものでもない」と思っていました。それだけではなく、「どうせ今までと同じで、見て見ぬふりをするんだろう」とも思っていました。だから、結局先生には言えませんでした。困っていても、自分で何とかするしかない。そんな気持ちになっていました。

    嫌だったことは、そのあとも残った

    嫌だった出来事は、その場だけで終わりませんでした。家に帰ってからも思い出す。夜になっても思い出す。何度も何度も、頭の中をぐるぐる回っていました。そのたびにつらくなり、眠れなくなることもありました。

    出来事そのものも苦しかった。でも、そのあと何度も思い出してしまうことも、とてもしんどかったです。 今振り返っても、あの頃は一人で抱え込むことが多かったのだと思います。

    同じような経験をしている方へ

    つらい記憶が何度も浮かんできて眠れない日が続くときは、一人で抱え込まず、医療機関や相談窓口に話してみてください。「話せるようになってから」でなくても、文字で伝えられる方法もあります。相談先の探し方は、話すのが苦手な人のための相談先の探し方にまとめました。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

    この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。

  • 学校に行きたくない本当の理由を言えなかった|親に本音を話せなかった私

    今振り返ると、「なんで私は、あそこまでして学校に行っていたんだろう」と思うことがあります。学校では嫌なこともありました。つらいこともありました。それでも、私は学校に行っていました。その理由のひとつには、「休んだら親に怒られるのが怖い」という気持ちがあったのだと思います。

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    「学校に行きたくない」と言ったことがあった

    専門学校の頃、一度「学校に行きたくない」と言ったことがありました。すると、「なんで?」と聞かれました。

    本当は、「友達がいないから楽しくない」と言いたかったです。でも、その本音を言うことができませんでした。もしそう言えば、「喋れないお前が悪い」と言われるのが分かっていたからです。だから私は、「勉強が嫌だから」と答えました。すると、「なら働きんさい」と言われました。

    本当に言いたかったことは別にあった

    私が本当に伝えたかったのは、勉強が嫌だということではありませんでした。友達がいないこと。学校にいても楽しくないこと。人の輪の中に入れないこと。そういうことがつらかったのだと思います。

    でも、それを言えばまた自分のせいにされる。そう思うと、本当の気持ちを言うことができませんでした。

    子どもの頃から、本音を分かってもらえなかった

    今振り返ると、こういう関係は専門学校の頃に始まったものではありませんでした。幼稚園の頃から、嫌だったことや困っていたことを話しても、気持ちの奥まで分かってもらえたという感覚はあまりありませんでした。私が言った言葉の表面だけを受け取られて、その奥にある気持ちまでは気づいてもらえない。そんなことが多かったように思います。

    今でも、表面だけの関係だと感じることがある

    この関係は、今まで大きく変わっていないように感じます。話はする。必要なことはやり取りする。私は今でも、「相変わらず、表面だけの関係だな」と感じることがあります。

    本当の気持ちを言えなかった私と、その気持ちに気づいてもらえなかった関係。今振り返ると、私はずっと、そんな中にいたのだと思います。

    同じような経験をした方へ

    家族に本音を言えなかった経験は、人によって形が違うと思います。もし同じように、言いたいことを飲み込んできた人がいたら、それは「あなたの伝え方が悪かった」からとは限らない、と私は思います。家族以外にも、主治医や訪問看護師さん、相談窓口など、話を聞いてくれる場所があります。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

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  • 体育の球技で身体が動かなかった|どう動けばいいのか分からなかった私

    体育の球技が苦手でした。ただ、うまくできないというだけではありませんでした。どう動けばいいのか分からなくなって、身体が止まってしまうことがありました。

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    バレーボールでは、サーブが相手のコートまで届かなかった

    バレーボールでは、サーブを打っても相手のコートまで届きませんでした。何度やっても届かない。周りの子は普通に打てているのに、自分だけできないように感じて、とても情けなかったです。

    試合でも、ボールが自分の方に来ると、どうしたらいいのか分からなくなりました。頭では「動かないと」と思っているのに、身体が動きませんでした。

    バスケットボールでも、ゴールまで届かなかった

    バスケットボールでは、フリースローの練習が苦手でした。ボールを投げても、ゴールまで届きませんでした。入らないというより、そもそも届かない。そのことが、とても悔しかったです。

    試合になると、さらに難しくなりました。どこに動けばいいのか。誰についていけばいいのか。いつ走ればいいのか。何をすればいいのか分からず、動けなくなっていました。

    周りは自然に動いているように見えた

    周りの子は、ボールの動きを見ながら自然に走ったり、場所を変えたりしているように見えました。でも私は、その流れについていくことができませんでした。次に何をすればいいのか分からない。考えている間に、もう場面が変わってしまう。そんなことが何度もありました。

    参観日が体育だったとき

    参観日が体育の授業だったこともありました。そのときも、私はうまく動くことができませんでした。そして家に帰ると、母に怒られました。私は自分でも、どうして身体が動かないのか分かりませんでした。でも、できなかったことを家に帰ってからまた怒られるのは、とてもつらかったです。

    動きたくなかったわけではない

    私は、体育をさぼりたかったわけではありません。できるなら、ちゃんと動きたかったです。できるなら、みんなと同じように動きたかったです。でも、どう動けばいいのか分からない。ボールが来ても身体が動かない。そのことが、自分でもとても情けなく感じていました。

    今振り返ると、球技そのものが苦手だっただけではなく、その場で状況を見て、すぐに判断して動くことが難しかったのだと思います。これは私が自分の経験から感じていることで、原因を断定するものではありません。

    同じような経験をした方へ

    体育でうまく動けなかったことは、努力が足りなかったからとは限りません。「どうしてできないの」と責められてつらかった人がいたら、あなただけではないと伝えたいです。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

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  • 助けてほしいのに、「助けて」と言えなくなった理由

    この記事には、子どもの頃の嫌がらせの経験が出てきます。読むのがつらくなったときは、無理をせず閉じてください。

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    幼稚園の頃、助けてもらえなかった

    幼稚園の頃、背の順に並んでいるとき、後ろにいた子から体当たりをされることがありました。私はそのことを母に話しました。でも、先生に伝えてもらうことはありませんでした。先生にも気づいてほしかったし、助けてほしかったです。でも、何も変わりませんでした。

    「やめて」と言っても、助けてもらえなかった

    小学3年生の頃には、隣の席の男子から、体を触られるという嫌がらせを受けていました。私は「やめて」と言いました。でも、やめてもらえませんでした。母にも話しました。でも、「からかわれているだけよ」と言われただけでした。先生も、周りの子も見ていたはずなのに、誰も助けてくれませんでした。

    「言っても助けてもらえない」と思うようになった

    こういう経験が重なるうちに、「どうせ言っても助けてもらえない」と思うようになっていったのだと思います。私は、最初から助けを求めない子だったわけではありません。嫌なことがあれば、母に話していました。「やめて」と言うこともありました。でも、それでも状況は変わりませんでした。

    だから少しずつ、「言っても無駄なんだ」「自分で耐えるしかないんだ」と思うようになっていきました。

    中学生になっても、先生に言えなかった

    中学生の頃、嫌なことがあって担任の先生から「何があったの?」と聞かれたことがありました。でも、私は言えませんでした。心の中では、「どうせ言っても助けてくれないでしょ」と思っていました。幼い頃から、助けを求めても助けてもらえなかった経験が残っていたからです。

    助けを求めることが苦手だったのではなく、期待できなくなっていた

    今振り返ると、私は「助けを求める力がなかった」のではないと思います。助けを求めても、届かない経験が多すぎたのだと思います。「やめて」と言っても止めてもらえない。親に話しても、深刻に受け止めてもらえない。先生や周りの人にも気づいてほしいのに、誰も助けてくれない。そんなことが続けば、「助けて」と言うこと自体をあきらめてしまう。私は、そうなっていったのだと思います。

    今でも、あの頃のことを思い出すと苦しくなります。でも今は、助けを求められなかった自分を責める必要はなかったと思っています。

    まずは日記に書き出してから考える

    今は、困ったことやつらかったことがあると、まずは自分しか見ない日記に書き出すことがあります。書いているうちに気持ちが少し整理されて、「これなら誰かに話してみようかな」と思えることがあります。いきなり人に話すよりも、一度自分の中で言葉にしてからの方が、私は伝えやすいです。

    夫には話しやすい

    毎日一緒にいる夫には、比較的話しやすいです。生活の中で困ったことや、その日にあったことを話すことがあります。ただ、夫は病院の先生ではないので、医学的なアドバイスを求めているわけではありません。私にとっては、まず話を聞いてもらえること自体が助けになっています。

    医学的なことや治療について相談したいときは、主治医など専門の人に相談する。それ以外の気持ちや日常の困りごとは、夫に聞いてもらう。今は、相談する相手によって話す内容を少し分けるようになっています。

    同じような経験をした方へ

    子どもの頃に助けてもらえなかった経験があると、大人になっても「助けて」と言いにくいことがあります。それは弱さではなく、そうなる理由があったのだと思います。話すことが難しいときは、文字で相談できる窓口もあります。話すのが苦手な人のための相談先の探し方も参考にしてください。

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  • 「生きてるか死んでるかわからない」と言われた中学3年の頃

    中学3年生のとき、班替えがありました。そのとき、ある男子と同じ班になり、隣の席になりました。すると、その男子から「生きてるか死んでるかわからない」と言われました。それだけではなく、周りのみんなにも同意を求めるような言い方をしていました。

    中学3年の頃に言われた言葉を書いた記事のイメージ画像

    私は何も言い返せませんでした。心の中で、「私なりに一生懸命生きてきたのに、なんでそんなことを言われないといけないの?」と思いました。ちょうどそのあとチャイムが鳴ったので、涙目のままトイレに逃げました。私を追いかけてきてくれた女子がいました。

    先生に「何があったの?」と聞かれても言えなかった

    そのあと、担任の先生から「何があったの?」と聞かれました。でも、私は言えませんでした。心の中では、「どうせ言っても助けてくれないでしょ」と思っていました。小学生の頃、嫌なことがあっても、親も先生も周りの子も助けてくれなかった。その記憶が残っていたからです。私にとっては、「先生に話す」ということ自体が簡単なことではありませんでした。

    家では「あなたが喋らないから悪い」と言われた

    その後、担任の先生が家に電話をしたようです。でも家では、私は怒られました。「あんたが喋らないから悪いんでしょう?」。また、いつものような言葉でした。さらに、「いじめられたなら転校すればいいんだから」とも言われました。

    私は心の中で、「転校して、何が解決するの?」と思っていました。場所を変えれば、私が話せないことや、傷ついた気持ちまでなくなるわけではありません。

    話せなかったことと、傷つけられていいことは別だった

    あの頃の私は、助けを求める方法も分かりませんでした。そして、何かあっても最後には、「あなたが話さないから悪い」と言われるような気がしていました。だから、ますます言えなくなっていったのだと思います。

    でも今振り返ると、話せなかったことと、傷つけられていいことは別だったと思います。言い返せなかったからといって、つらくなかったわけではありません。昔のことでも、傷はなくなったわけではありません。思い出すと、今でもしんどくなることがあります。

    同じように言えなかった人へ

    もし同じように、言いたくても言えなかった人がいたら、ひとりではないと思ってもらえたらうれしいです。 うまく言葉にできなくても、傷ついた気持ちはちゃんとそこにあります。

    今の私なら、こう思う

    今の私なら、あの言葉をそのまま受け取らないと思います。私は、話せないことで不安や悩みを一人で抱えながら、それでも毎日を生きてきました。自分なりに一生懸命頑張ってきたつもりです。だから今なら、「生きてるか死んでるかわからないなんて、言われる筋合いはない」と思います。

    外から見ただけでは、その人がどれだけ苦しんでいるのか、どれだけ頑張っているのかは分からないと思います。どれだけ一生懸命生きてきたかは、本人にしか分からない。 私は今、同じように人から傷つく言葉を言われた人に、そう伝えたいです。

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  • 「頑張ったのはあなたじゃない」就職担当の先生に言われた言葉

    学生の頃、講堂の2階で就職担当の先生と話をしたことがあります。何について話していたのか、今では細かいところまでは覚えていません。でも、先生から言われた言葉は、今でもいくつも覚えています。

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    話したいのに、話せない

    先生から最初に言われたのは、「コミュニケーションをとろうとしていない」「しゃべろうとしていない」「思っているなら、しゃべるはずだ」という趣旨の言葉でした。私はその言葉を聞きながら、どこか見当ちがいのことを言われているような気がしていました。

    私は、話したくなかったわけではありません。自分のことを知ってもらいたくなかったわけでもありません。話したい気持ちはあっても、言葉がうまく出てこないことがありました。「思っているなら、しゃべるはずだ」と言われても、私にとっては、思っていることと、それを言葉にして口から出せることは同じではありませんでした。

    障害者手帳の話や、「その人たちは、必死で思いを伝えようとする」という話もされました。その言葉を聞いても、やはり自分の困っていることとは少し違う話をされているように感じました。私にも伝えたい気持ちはありました。でも、伝えたいと思っているからといって、すぐに言葉にできるわけではありませんでした。

    「好きなことがないのはおかしい」と言われて

    さらに先生から、好きなことがない、目標がない、興味があることがない、読みたい本がない、というのはおかしい、とも言われました。でも当時の私は、そう聞かれても、うまく答えることができませんでした。

    本当に何も感じていなかったわけではなかったと思います。ただ、自分が何を好きなのか、何に興味があるのかを、その場ですぐに言葉にして伝えることが難しかったのです。「ない」のではなく、自分の中にあるものをうまく外に出せなかった。今振り返ると、そんな状態だったのかもしれません。

    「足かせがあるんじゃないの? 足かせは何?」とも聞かれました。でも私は、うまく答えることができませんでした。苦しいことは分かっていても、何が自分を苦しめているのか、それを説明する言葉を持っていなかったのだと思います。

    「頑張ったのはあなたじゃない」

    そして先生から、「頑張ったのはあなたじゃない。両親だよ」と言われました。確かに、学費を出してくれたのも、生活を支えてくれたのも両親です。そのことには感謝しています。だから、「両親のおかげだよね」と思う気持ちもありました。

    でも同時に、心の中ではこう思っていました。「でも、資格の勉強をしたのは私だよ」。資格を取るために勉強したのは私です。両親に支えてもらったことと、私自身が頑張ったことは、どちらか一方だけではないと思いました。

    「能面のようだ」と言われて

    そして先生からは、「能面のようだ」とも言われました。さらに、「能面は、あれでも見る側によって表情があるけれど、あなたにはそれがない」と言われました。その言葉を聞いて、私は泣いてしまいました。そして、中学3年生の頃に言われた言葉を思い出しました。

    「生きてるか死んでるかわからない」

    昔から私は、周りの人から見ると、表情が乏しく見えていたのかもしれません。でも、何も感じていなかったわけではありません。ただ、それを表情や言葉にして外に出すことが、とても難しかったのです。

    泣いた私の手を握ってくれた

    私が泣くと、先生は手を握ってくれました。悲しいことも、悔しいことも、傷つくこともありました。そして、「泣いたこと、少し安心した」と言いました。先生にとっては、私が泣いたことで「ちゃんと感情がある」と感じたのかもしれません。先生の言葉は、今思い返しても厳しかったと思います。でも、私に何とか変わってほしい、自分の気持ちを出してほしいと思っていたのかもしれません。

    今振り返って思うこと

    ただ当時の私は、努力していなかったのではありません。伝えようとしていなかったのでもありません。伝えたいのに、うまく伝えられなかった。話したいのに、言葉が出なかった。 その違いを、当時の私は自分でもうまく説明することができませんでした。

    今なら、あの頃の自分にこう言ってあげたいです。「ちゃんと感じていたし、ちゃんと頑張っていたよ」 言葉や表情に出せなかっただけで、私の中にはちゃんと気持ちがありました。

    今の私なら、こう思う

    先生は、私のことを十分に知らないまま、あの言葉を言ったのだと思います。でも、だからといって何を言ってもいいわけではありません。先生という立場であっても、人を傷つけていいとは限らない。今の私は、そう思います。

    当時の私は、その言葉をそのまま受け取って傷つきました。でも今なら、「私のことを何も知らない人の一言で、私が頑張ってきたことまで否定されるわけではない」と思えます。

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