カテゴリー: 話せない・選択性緘黙

  • 選択性緘黙の人の周りにいる方へ|当事者として、お願いしたいこと

    この記事は、選択性緘黙の当事者である私が、自分の経験をもとに、周りの方にお願いしたいことをまとめたものです。人によって、話せる場面や話せない場面は違います。ここに書いたことが、すべての人に当てはまるわけではありません。個別の関わり方は、本人や専門家に確認してください。

    選択性緘黙の人の周りにいる方へ|当事者として、お願いしたいこと

    知っておいてほしいこと

    選択性緘黙は、家など安心できる場面では話せるのに、学校など特定の場面で声が出なくなる状態のことです。私の場合は、次のようなことがありました。

    • 話したくないわけではない:話したいのに、声が出なかった
    • 話せないことと、分からないことは違う:聞いて、考えて、感じていた
    • 外からは表情が乏しく見えることがある:でも、何も感じていないわけではない
    • 一度声が出たからといって、いつでも同じように話せるわけではない

    私の体験は、話したいのに、声が出なかった|選択性緘黙の体験に詳しく書いています。

    声をかけるときにお願いしたいこと

    言ってはいけないことではなく、傷つきやすい言葉

    私が実際に言われて傷ついた言葉には、「生きてるか死んでるかわからない」「能面のようだ」、そして「あなたが喋らないから悪い」がありました。話せないことを、本人の責任にされるのは、とてもつらいことでした。詳しくは、「生きてるか死んでるかわからない」と言われた中学3年の頃に書いています。

    連絡の方法を選べるようにしてほしい

    電話や対面で話すことが難しくても、LINEやメール、メモなど、文字なら伝えられる人もいます。連絡手段を選べるようにしてもらえると、とても助かります。私の使い分けは、話すのが苦手な私の連絡手段の使い分けにまとめました。

    専門的な情報を知りたいときは

    選択性緘黙の専門団体(かんもくネットなど)や、医療機関、学校の相談窓口などに、支援の方法が紹介されています。子どもの関わり方に迷うときは、一人で判断せず、専門家に相談してください。

    当事者の方へ

    もし読んでくださっているあなたが当事者なら、あなたが話したくなかったわけではないと、私は伝えたいです。同じ体験をしている人がいることを知って、私は涙が出ました。あなたも、ひとりではありません。


    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

    この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。

  • 昔は質問できたのに、いつからか聞けなくなった|「分からない」を言えなかった私

    小学校低学年の頃は、勉強で分からないところがあれば、先生に質問することができていました。でも、その後は少しずつ、分からないことがあっても質問できなくなっていきました。なぜそうなったのか、自分でもはっきりとは分かりません。ただ、いつの頃からか、「どうやって質問したらいいんだろう」と思うようになっていました。

    質問できなくなった記事のイメージ画像

    どう聞けばいいのか分からなくなった

    分からないことがあっても、「どこが分からないのか、どう説明すればいいんだろう」「こんなことを聞いていいのかな」と考えてしまい、結局聞けないまま終わることが増えていきました。質問したい気持ちはありました。分からないままにしたいわけでもありませんでした。でも、どうやって声をかければいいのか分からなくなっていました。

    中学校の技術の授業で質問できなかった

    中学校の技術の授業で、やり方が分からないことがありました。本当は先生に質問したかったです。でも、どう聞けばいいのか分からず、質問することができませんでした。そのことがずっと頭に残っていました。

    家に帰ってからも、「どうしよう」「次の授業までに分からないままだったらどうしよう」と考えていました。分からないことそのものより、聞きたいのに聞けないことが、とても苦しかったのだと思います。

    大人になってからも、病院で聞けなかった

    大人になってからも、病院で聞きたいことはたくさんありました。夜になってもそのことが頭から離れず、なかなか眠れないこともありました。「どうして私は話せないんだろう」「いつになったら話せるようになるんだろう」「話せない原因は何なんだろう」。本当は、先生に聞きたいことがたくさんありました。

    でも、診察室に入ると聞けませんでした。頭の中には疑問がある。答えを知りたい気持ちもある。それなのに、それを質問の形にして口に出すことができませんでした。

    いちばん身近な母にも聞けなかった

    病院だけではなく、いちばん身近な母にも聞くことができませんでした。本当は、「どうして私は話せないの?」「いつになったら話せるの?」と聞きたかったのだと思います。でも、どう聞けばいいのか分かりませんでした。聞けないまま、不安だけが自分の中に残っていきました。

    不安は将来のことにも広がっていった

    不安は、今のことだけではありませんでした。「このままずっと話せなかったらどうしよう」「将来、学校を卒業したあと私はどうなるんだろう」「仕事はできるのかな」。そんな先のことまで考えて、不安になることがありました。目の前の困りごとだけでも苦しいのに、その先の人生まで考えると、ますます不安が大きくなっていきました。

    治療を始めて5年くらい経ってから、不安を母にぶつけた

    病院で治療を始めてからも、不安はすぐにはなくなりませんでした。疑問や将来への不安を抱えたまま、何年も過ごしました。そして、治療を始めてから5年くらい経った頃、とうとう抱えていた不安を母にぶつけました。それまでずっと、自分の中だけで抱えていたものが大きくなりすぎていたのだと思います。その後、病院では、「薬を飲んでみませんか?」と言われました。

    今振り返って思うこと

    今振り返ると、私はただ「質問が苦手だった」のではないと思います。分からないことがあっても、どう聞けばいいのか分からなかった。不安があっても、どう外に出せばいいのか分からなかった。だから、一人で抱え込むことが多くなっていったのだと思います。

    もっと早く、「分からない」「不安です」と伝える方法が分かっていたら、少し違ったのかもしれません。でも当時の私は、その伝え方自体が分かりませんでした。

    今は、分からないことを早めに聞くようにしている

    今は、分からないことがあったときは、できるだけ早く聞くようにしています。昔は、「こんなことを聞いたらどう思われるだろう」と考えてしまって、分からなくてもそのままにすることがありました。でも今は、分からないままにしておくより、早めに確認した方がいいと思えるようになってきました。

    すぐに人に聞くのが難しいときは、まず夫に聞いてみることもあります。夫に話してみると、答えそのものではなくても、考えるためのヒントが見つかることがあります。それで少し整理してから、必要なら相手に確認するようにしています。今は、「分からないことを聞くのは悪いことではない」と思えるようになってきました。

    質問できない人へ

    聞きたいことを紙に書いておく、文字で送るなど、口で聞く以外の方法もあります。診察での具体的な方法は、診察で話せない人のための診察メモの書き方にまとめました。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

    この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。

  • 話しかけてもらえるのはうれしい。でも、どう返せばいいのか分からなかった

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。選択性緘黙についての基本的な説明は、話したいのに、声が出なかった|選択性緘黙の体験に書いています。

    話しかけられてどう返せばいいか分からなかった記事のイメージ画像

    話しかけてもらえるのは、うれしかった

    誰かに話しかけてもらえることは、うれしかったです。でも私は、いつもどう返せばいいのか分かりませんでした。

    「はい」か「いいえ」で答えられる質問なら、首を振ることで返すことはできました。でも、言葉で返事をすることは難しかったです。

    低学年の頃は、そこまで深く悩んでいなかった

    小学校の低学年の頃は、話せないことについて、今ほど深く悩んではいませんでした。

    でも、学年が上がるにつれて、「どうして私は話せないんだろう」と思うことが増えていきました。周りの子は自然に返事をしているのに、私はそれができない。その違いが、少しずつ気になるようになっていきました。

    一度だけ、大きな声で返事をしたことがあった

    あるとき、私は一度だけ、大きな声で「○○ってだぁれ?」と返事をしたことがあったようです。

    そのことを、ある1人の子がずっと覚えていました。そして、何かあるたびに、「あの時みたいに返事してよ」と言われるようになりました。それは小学生の間だけではなく、中学生になってからも続きました。

    「一度話せたなら、また話せる」と思われることが苦しかった

    私にとっては、一度声が出たからといって、いつでも同じように話せるわけではありませんでした。

    でも、その出来事を何度も持ち出されることで、「また話さなきゃいけない」「今度も声を出さなきゃいけない」という気持ちが強くなっていきました。そう思えば思うほど、かえって答えにくくなりました。

    一度できたことを、いつでもできると思われることが、私にはとても苦しかったです。

    話したくないわけではなかった

    私は、返事をしたくなかったわけではありません。本当は、ちゃんと答えたかったです。でも、どう返せばいいのか分からない。言葉が出てこない。そのことで、自分でも何度も苦しくなりました。

    あのとき一度声が出たことは、「もう話せるようになった」という意味ではありませんでした。むしろ、その出来事を何度も言われることで、私はますます声を出しにくくなっていったのだと思います。

    周りの人にお願いしたいこと

    私の経験から、次のように思っています。

    • 「はい」「いいえ」で答えられる聞き方だと、返しやすい
    • 返事が出るまで、急かさずに待ってもらえると安心する
    • 過去に一度できたことを、何度も持ち出さないでほしい
    • 返事がなくても、話しかけてもらえること自体はうれしい

    これは私の場合です。人によって、答えやすい聞き方や、安心できる関わり方は違います。

    今は、完璧に返そうとしなくていいと思っている

    今でも、話しかけてもらえるとうれしいです。

    昔は、「何て返せばいいんだろう」「変なことを言ったらどうしよう」と考えすぎてしまうことがありました。でも今は、できるだけ余計なことを考えすぎず、素直な気持ちで話すようにしています。もちろん、あとから「あれは失敗したかな」と思うこともあります。それでも、昔ほど気にならなくなりました。

    完璧に返そうとしなくてもいい。少しくらいうまく話せなかったとしても、それで全部がだめになるわけではない。そう思えるようになってきたことで、人と話すことへの緊張も、少しずつ減ってきたように感じます。

    また、連絡を取るときは、電話ではなく、LINEなどの文字でやり取りすることもあります。話すことだけが、気持ちを伝える方法ではない。そう思えるようになって、少し楽になりました。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

    この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。

  • 話したいのに、声が出なかった|選択性緘黙の体験

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。診断や治療についての助言ではありません。

    選択性緘黙の体験を書いた記事のイメージ画像

    選択性緘黙(かんもく)とは

    選択性緘黙とは、家など安心できる場面では話せるのに、学校など特定の場面では、声を出して話すことが続けてできなくなる状態のことです。「話したくない」「わがまま」「人見知り」とは違い、本人が話そうと思っても、声が出ないのが特徴だと説明されています。

    くわしい説明は、かんもくネットなどの専門団体の情報や、医療機関で確認してください。ここからは、私の場合のことを書きます。

    「話したい」のに話せなかった

    話しかけられても、私は答えることができませんでした。

    どうして話せないのか、自分でも分かりませんでした。答えたくないわけではありません。話したいと思っているのに、声が出なかったのです。

    家では話せるのに、学校では声が出なかった

    家では、家族と普通に話すことができました。でも、学校では声が出ませんでした。

    自分でも、どうして場所が変わるだけで話せなくなるのか分かりませんでした。「明日は話そう」と思って学校へ行っても、いざ誰かを前にすると、やっぱり声が出ない。それを何度も繰り返していました。

    学校で話せないことを、家族に相談することもできませんでした。自分でも理由が分からず、どう説明すればいいのかも分からなかったからです。

    「これは夢の中なんじゃないか」と思っていた

    周りの子は普通に話しているのに、私だけ話せない。「こんなの、おかしいよ」と思っていました。

    何度も、「もしかして、これは夢の中なんじゃないか」と思いました。目が覚めたら、普通に話せる自分になっているんじゃないか。そんなふうに考えることもありました。でも、朝になっても何も変わりませんでした。

    不安も悩みも、誰にも言えないまま、一人で抱えていました。誰かに話しかけてもらえると、本当はうれしかったです。人と関わりたくなかったわけではありません。友達と話したかったし、みんなの輪の中にも入りたかったです。

    友達と呼べる人はいなかった

    学校では、友達と呼べる人はいませんでした。

    誰かに話しかけられると、相手は少し待ってくれることもありました。でも、私が答えられないままでいると、やがて別の話題になってしまいます。そのたびに「あっ、またか」と思いました。

    私はそのまま、みんなが話しているのを聞いていました。話の中に入りたいと思っていても、どうやって入ればいいのか分かりません。自分から声をかけることもできませんでした。

    休み時間も、一人でいることが多くありました。周りでは、みんなが楽しそうに話しています。私も一緒に話したいと思っていました。でも、「何を話せばいいんだろう」「話しかけて変に思われたらどうしよう」と考えているうちに、何も言えないまま休み時間が終わっていました。

    一人でいることに慣れているように見えたかもしれません。でも、本当は寂しかったです。

    言われて傷ついた言葉

    話せないことで、「生きてるか死んでるかわからないな」と言われたことがあります。「能面のよう」と言われたこともあります。

    でも、私は何も感じていなかったわけではありません。みんなの話を聞いていました。言われた言葉に傷つくこともありました。ただ、その気持ちを言葉にして相手に伝えることができなかっただけです。

    外からは何も考えていないように見えていたのかもしれません。でも、私の中には、ちゃんと気持ちがありました。

    その頃のことは、次の記事にも書いています。

    25歳くらいのころ、「選択性緘黙症」と言われた

    25歳くらいのころ、私は「選択性緘黙症」と言われました。そのとき、「病気だったんだな」と思いました。

    家族とは話せるのに、外では話せない。話したいのに、声が出ない。そんな自分の「話せないこと」に、初めて名前がつきました。

    インターネットで調べて、涙が出た

    そのあと、インターネットで選択性緘黙症について調べました。すると、そこには私と同じような体験をしている人がいました。

    同じ体験をしている人がいることを知って、涙が出ました。

    子どもの頃の私は、どうして自分が話せないのか分かりませんでした。大人になって「選択性緘黙症」という言葉を知り、子どもの頃には分からなかった「話せない」ということに、名前があったと知りました。

    名前がついて、少し分かったこと

    「選択性緘黙症」という言葉を知ったとき、初めて自分の経験が少し分かったような気がしました。

    私は、話したくなかったのではありません。話したいのに、声が出なかったのです。

    話したいのに話せない。その苦しさは、外からは分かりにくいものだと思います。

    周りの人にお願いしたいこと

    私の経験から、次のように思っています。

    • 答えられないとき、「話したくないのだ」と決めつけないでほしい
    • 「はい」「いいえ」で答えられる聞き方だと、首を振るなどで答えられることがある
    • 話せないことと、分かっていないことは違う
    • 一度声が出たからといって、いつでも同じように話せるわけではない

    人によって、話せる場面や話せない場面は違います。本人や専門家に確認しながら、その人に合った関わり方を探してもらえたら、と思います。

    同じように悩んでいる方へ

    子どもの頃の私に、「あなたが話したくなかったわけではないよ」と伝えてあげたいです。

    私の体験が、同じように「話したいのに話せない」と悩んでいる人や、その周りにいる人に、少しでも届けばうれしいです。診断や支援について知りたいときは、医療機関や、選択性緘黙の専門団体の情報も確認してみてください。

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  • 話せないだけで、分からないわけじゃない|「意味わかるの?」と言われて傷ついた私

    この記事は、私自身の体験を書いたものです。選択性緘黙についての説明は、話したいのに、声が出なかった|選択性緘黙の体験に書いています。

    話せないことと分からないことは違うと書いた記事のイメージ画像

    「一緒に昼ごはんを食べよう」と言われたとき

    「一緒に昼ごはんを食べよう」

    そう言われたとき、私はすぐにその言葉を信じることができませんでした。話せない私は、そこにいてはいけないような気がしていたからです。

    最初の何ヶ月かは、一緒に昼ごはんを食べていました。でも、時間が経つにつれて、少しずつ誘われなくなっていきました。

    一緒にいるときも、私は何を話したらいいのか分かりませんでした。周りの人たちが話しているのを聞きながら、ただそこにいるだけでした。

    「意味わかるの?」と言われた

    そんなある日、みんなで話しているときに、誰かが冗談を言いました。私もその意味が分かって、おかしくて笑いました。

    すると、こう言われました。

    「意味わかるの?」

    その言葉を聞いたとき、私は傷つきました。話せないだけで、何も分からないわけじゃない。でも、そのときの私は、何も言い返すことができませんでした。

    「やっぱり、そうなると思ってた」

    そのとき私は、「やっぱり、そうなると思ってた」と思いました。

    最初に誘われたときから、いつかこうなるような気がしていました。話せない私が一緒にいても、きっとそのうち嫌がられる。そんなふうに思っていたからです。

    誘われなくなったときも、「やっぱり」と思いました。悲しかったけれど、どこかで最初から諦めていた自分もいました。

    「話せないこと」と「一緒にいられないこと」を同じように考えていた

    今振り返ると、私は「話せないこと」と「人と一緒にいられないこと」を、同じように考えていたのかもしれません。

    • 話せないから、相手を楽しませることができない
    • 話せないから、一緒にいてもらえなくなる

    そんなふうに思っていました。

    でも、本当は、話すことができなくても、相手の話は聞いていました。冗談の意味も分かっていました。笑うことも、傷つくこともありました。外からは何も反応していないように見えても、私の中では、いろいろなことを感じていたのです。

    話せないことと、分からないことは違う

    話せないことと、分からないことは、別です。

    言葉にできなくても、ちゃんと聞いて、考えて、感じていました。あの頃の私は、それを誰かに分かってほしかったのだと思います。

    今の私なら、こう思う

    今の私なら、あの頃の自分に、「話せなくても、そこにいていいんだよ」と言ってあげたいです。

    それから、「あんな話で無理に笑わなくてもよかった」とも思います。周りに合わせようとして笑っただけなのに、それで自分を見下すような言葉を言われる必要はなかったと思います。

    あのときは、うまく言い返すことができませんでした。でも今は、そう思えます。

    周りの人にお願いしたいこと

    • 話さない人が、話の内容を理解していないとは限らない
    • 反応が小さくても、笑ったり、聞いたり、感じたりしているかもしれない
    • 本人の前で「分かるの?」と確かめるような言い方は、傷つけてしまうことがある

    もし確かめたいことがあるときは、「この話、どう思った?」のように、答えやすい形で聞いてもらえるとうれしいです。

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    この記事を書いた人
    かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら

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