小学校低学年の頃は、勉強で分からないところがあれば、先生に質問することができていました。でも、その後は少しずつ、分からないことがあっても質問できなくなっていきました。なぜそうなったのか、自分でもはっきりとは分かりません。ただ、いつの頃からか、「どうやって質問したらいいんだろう」と思うようになっていました。

どう聞けばいいのか分からなくなった
分からないことがあっても、「どこが分からないのか、どう説明すればいいんだろう」「こんなことを聞いていいのかな」と考えてしまい、結局聞けないまま終わることが増えていきました。質問したい気持ちはありました。分からないままにしたいわけでもありませんでした。でも、どうやって声をかければいいのか分からなくなっていました。
中学校の技術の授業で質問できなかった
中学校の技術の授業で、やり方が分からないことがありました。本当は先生に質問したかったです。でも、どう聞けばいいのか分からず、質問することができませんでした。そのことがずっと頭に残っていました。
家に帰ってからも、「どうしよう」「次の授業までに分からないままだったらどうしよう」と考えていました。分からないことそのものより、聞きたいのに聞けないことが、とても苦しかったのだと思います。
大人になってからも、病院で聞けなかった
大人になってからも、病院で聞きたいことはたくさんありました。夜になってもそのことが頭から離れず、なかなか眠れないこともありました。「どうして私は話せないんだろう」「いつになったら話せるようになるんだろう」「話せない原因は何なんだろう」。本当は、先生に聞きたいことがたくさんありました。
でも、診察室に入ると聞けませんでした。頭の中には疑問がある。答えを知りたい気持ちもある。それなのに、それを質問の形にして口に出すことができませんでした。
いちばん身近な母にも聞けなかった
病院だけではなく、いちばん身近な母にも聞くことができませんでした。本当は、「どうして私は話せないの?」「いつになったら話せるの?」と聞きたかったのだと思います。でも、どう聞けばいいのか分かりませんでした。聞けないまま、不安だけが自分の中に残っていきました。
不安は将来のことにも広がっていった
不安は、今のことだけではありませんでした。「このままずっと話せなかったらどうしよう」「将来、学校を卒業したあと私はどうなるんだろう」「仕事はできるのかな」。そんな先のことまで考えて、不安になることがありました。目の前の困りごとだけでも苦しいのに、その先の人生まで考えると、ますます不安が大きくなっていきました。
治療を始めて5年くらい経ってから、不安を母にぶつけた
病院で治療を始めてからも、不安はすぐにはなくなりませんでした。疑問や将来への不安を抱えたまま、何年も過ごしました。そして、治療を始めてから5年くらい経った頃、とうとう抱えていた不安を母にぶつけました。それまでずっと、自分の中だけで抱えていたものが大きくなりすぎていたのだと思います。その後、病院では、「薬を飲んでみませんか?」と言われました。
今振り返って思うこと
今振り返ると、私はただ「質問が苦手だった」のではないと思います。分からないことがあっても、どう聞けばいいのか分からなかった。不安があっても、どう外に出せばいいのか分からなかった。だから、一人で抱え込むことが多くなっていったのだと思います。
もっと早く、「分からない」「不安です」と伝える方法が分かっていたら、少し違ったのかもしれません。でも当時の私は、その伝え方自体が分かりませんでした。
今は、分からないことを早めに聞くようにしている
今は、分からないことがあったときは、できるだけ早く聞くようにしています。昔は、「こんなことを聞いたらどう思われるだろう」と考えてしまって、分からなくてもそのままにすることがありました。でも今は、分からないままにしておくより、早めに確認した方がいいと思えるようになってきました。
すぐに人に聞くのが難しいときは、まず夫に聞いてみることもあります。夫に話してみると、答えそのものではなくても、考えるためのヒントが見つかることがあります。それで少し整理してから、必要なら相手に確認するようにしています。今は、「分からないことを聞くのは悪いことではない」と思えるようになってきました。
質問できない人へ
聞きたいことを紙に書いておく、文字で送るなど、口で聞く以外の方法もあります。診察での具体的な方法は、診察で話せない人のための診察メモの書き方にまとめました。
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この記事を書いた人
かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら
この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。