この記事は、私自身の体験を書いたものです。選択性緘黙についての基本的な説明は、話したいのに、声が出なかった|選択性緘黙の体験に書いています。

話しかけてもらえるのは、うれしかった
誰かに話しかけてもらえることは、うれしかったです。でも私は、いつもどう返せばいいのか分かりませんでした。
「はい」か「いいえ」で答えられる質問なら、首を振ることで返すことはできました。でも、言葉で返事をすることは難しかったです。
低学年の頃は、そこまで深く悩んでいなかった
小学校の低学年の頃は、話せないことについて、今ほど深く悩んではいませんでした。
でも、学年が上がるにつれて、「どうして私は話せないんだろう」と思うことが増えていきました。周りの子は自然に返事をしているのに、私はそれができない。その違いが、少しずつ気になるようになっていきました。
一度だけ、大きな声で返事をしたことがあった
あるとき、私は一度だけ、大きな声で「○○ってだぁれ?」と返事をしたことがあったようです。
そのことを、ある1人の子がずっと覚えていました。そして、何かあるたびに、「あの時みたいに返事してよ」と言われるようになりました。それは小学生の間だけではなく、中学生になってからも続きました。
「一度話せたなら、また話せる」と思われることが苦しかった
私にとっては、一度声が出たからといって、いつでも同じように話せるわけではありませんでした。
でも、その出来事を何度も持ち出されることで、「また話さなきゃいけない」「今度も声を出さなきゃいけない」という気持ちが強くなっていきました。そう思えば思うほど、かえって答えにくくなりました。
一度できたことを、いつでもできると思われることが、私にはとても苦しかったです。
話したくないわけではなかった
私は、返事をしたくなかったわけではありません。本当は、ちゃんと答えたかったです。でも、どう返せばいいのか分からない。言葉が出てこない。そのことで、自分でも何度も苦しくなりました。
あのとき一度声が出たことは、「もう話せるようになった」という意味ではありませんでした。むしろ、その出来事を何度も言われることで、私はますます声を出しにくくなっていったのだと思います。
周りの人にお願いしたいこと
私の経験から、次のように思っています。
- 「はい」「いいえ」で答えられる聞き方だと、返しやすい
- 返事が出るまで、急かさずに待ってもらえると安心する
- 過去に一度できたことを、何度も持ち出さないでほしい
- 返事がなくても、話しかけてもらえること自体はうれしい
これは私の場合です。人によって、答えやすい聞き方や、安心できる関わり方は違います。
今は、完璧に返そうとしなくていいと思っている
今でも、話しかけてもらえるとうれしいです。
昔は、「何て返せばいいんだろう」「変なことを言ったらどうしよう」と考えすぎてしまうことがありました。でも今は、できるだけ余計なことを考えすぎず、素直な気持ちで話すようにしています。もちろん、あとから「あれは失敗したかな」と思うこともあります。それでも、昔ほど気にならなくなりました。
完璧に返そうとしなくてもいい。少しくらいうまく話せなかったとしても、それで全部がだめになるわけではない。そう思えるようになってきたことで、人と話すことへの緊張も、少しずつ減ってきたように感じます。
また、連絡を取るときは、電話ではなく、LINEなどの文字でやり取りすることもあります。話すことだけが、気持ちを伝える方法ではない。そう思えるようになって、少し楽になりました。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら
この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。