今振り返ると、「なんで私は、あそこまでして学校に行っていたんだろう」と思うことがあります。学校では嫌なこともありました。つらいこともありました。それでも、私は学校に行っていました。その理由のひとつには、「休んだら親に怒られるのが怖い」という気持ちがあったのだと思います。

「学校に行きたくない」と言ったことがあった
専門学校の頃、一度「学校に行きたくない」と言ったことがありました。すると、「なんで?」と聞かれました。
本当は、「友達がいないから楽しくない」と言いたかったです。でも、その本音を言うことができませんでした。もしそう言えば、「喋れないお前が悪い」と言われるのが分かっていたからです。だから私は、「勉強が嫌だから」と答えました。すると、「なら働きんさい」と言われました。
本当に言いたかったことは別にあった
私が本当に伝えたかったのは、勉強が嫌だということではありませんでした。友達がいないこと。学校にいても楽しくないこと。人の輪の中に入れないこと。そういうことがつらかったのだと思います。
でも、それを言えばまた自分のせいにされる。そう思うと、本当の気持ちを言うことができませんでした。
子どもの頃から、本音を分かってもらえなかった
今振り返ると、こういう関係は専門学校の頃に始まったものではありませんでした。幼稚園の頃から、嫌だったことや困っていたことを話しても、気持ちの奥まで分かってもらえたという感覚はあまりありませんでした。私が言った言葉の表面だけを受け取られて、その奥にある気持ちまでは気づいてもらえない。そんなことが多かったように思います。
今でも、表面だけの関係だと感じることがある
この関係は、今まで大きく変わっていないように感じます。話はする。必要なことはやり取りする。私は今でも、「相変わらず、表面だけの関係だな」と感じることがあります。
本当の気持ちを言えなかった私と、その気持ちに気づいてもらえなかった関係。今振り返ると、私はずっと、そんな中にいたのだと思います。
同じような経験をした方へ
家族に本音を言えなかった経験は、人によって形が違うと思います。もし同じように、言いたいことを飲み込んできた人がいたら、それは「あなたの伝え方が悪かった」からとは限らない、と私は思います。家族以外にも、主治医や訪問看護師さん、相談窓口など、話を聞いてくれる場所があります。
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この記事を書いた人
かおり。選択性緘黙とASDの当事者です。プロフィールはこちら
この記事は私個人の体験をまとめたもので、医療上の助言ではありません。体調が心配なときは、医療機関や専門の相談窓口に相談してください。詳しくは免責事項をご覧ください。